■世代を超えた一体感


 秋晴れの高い空の下、突撃ラッパに「エイ!エイ!オー」の掛け声が町内中に響き渡る。徳守神社の本祭り当日、朝10時に行われていた安岡町・鳳龍臺の出陣式だ。「ええか、曳き手は他の町内に負けんようしっかり練れ、子供は大きな声を出せよ!安岡の鳳龍臺を出すからには、何事も1番を目指せ!」町内会長、青壮年団長の檄が飛ぶ。鐘、太鼓を力強く打ち鳴らし威勢の良い「ソーヤレ」の掛け声とともに畳二畳分の大うちわ、ひと回り小さい小うちわに続き鳳龍臺が曳き出されると、乗り子の子供たちを見つめながら「出た出た、しっかりやって無事に帰って来んちゃいよ」と見送るお年寄りの横顔は優しさに満ちていた。地域の人々の繋がりが希薄となったと言われて久しいが、安岡町には世代を超えた祭りへの誇り、地域の一体感がある。その理由を求め平成19年「衆望壱番臺」、安岡町・鳳龍臺の「津山まつり」を追った。


■祭りは夜な夜なの酒で作られる


 安岡町の「津山まつり」は、祭りの約2カ月前、安岡町青壮年が鳳龍臺出動準備に取り掛かり、一度、鳳龍臺を解体し彫りなどだんじりの各部を磨くことから始まる。だんじりの組み立て方など年配者から若者へと引き継がれる大事な作業だ。午後7時半、だんじり保管庫が併設された安岡町の会館に「こんばんは」の声とともに青壮年のメンバーが続々とやってくる。この日は長提灯の飾り付けや引き綱の締め直しなどの出動準備が進められ、そして青壮年団長の「もうええぞ」の声で始まる「祭りは夜な夜なの酒で作られる。これが安岡の心意気」という一杯飲みながらの作業へ移っていく。
 部屋の中央にガスコンロと鉄板が置かれ、男だけの豪快な料理を肴に「祭りの最中に喧嘩で他町内に負けないために、青壮年全員で空手の練習をしていた」「だんじりの屋根役が、いざこざが起きた時、曳き手のいる前方へ屋根から台車を越えて飛び降りた」などの勇ましいものから「だんじりとの距離が開く先導役と、だんじりとの意思疎通を図る舵取り役という役目が順列の中にある」など祭りに関することや「お前の小さい頃は…」「お前の親父は…」など終始笑い声が絶えない。そして一人一人が自分の町内に誇りを持ち信頼関係が出来上がっている。2カ月の間には、青壮年を卒業した町内の先輩諸氏も顔を出し、出動準備を通して町内の結束や、世代をつなぐ場として、長い時間を掛け安岡の人たちが作り上げてきた本当の意味の「祭り」を知ることができた。


■幕末の価値観、台車にも


 安岡の人たちの意識は台車にも向けられている。鳳龍臺の台車は他の町内と比べて明らかに車高が高い。これは現在の台車を造る時、鳳龍臺が他のだんじりと比べ1番高い位置になるよう、実際にライバルとなる他の臺の高さを測ってそれ以上の高さに決めたという。「津山だんじり」が担がれていたころ、担ぎ上げた高さで町内の威勢を見せていた当時の価値観が今も脈々と受け継がれている証拠で、台車はだんじりを乗せる為の台車に徹しており「足元を見られても大丈夫」なほど綺麗で掃除が行き届いている。さらに驚かされたのは、鳳龍臺は幕末の建造時の姿のまま、つまり保存の基本を貫き、担がれていた当時のまま台車に乗せられている。最近は台車固定で乗せた時の格好や安定を優先しだんじりの柱を切り、担がれていた当時のだんじりに戻ることのできない臺が見られるが、鳳龍臺はいつでも百数十年前に戻ることができる貴重な臺の一つだ。青壮年若手の「安岡は決して鳳龍臺を傷つけたりせんよ」という言葉が、この町内の祭りへの思いを代弁しているようで格好良かった。


■義信神社のみこし


 安岡町の会館、だんじり出動準備を行う奥の部屋には安岡町の守り神・義信神社のみこしが保管されている。「義信神社は町内のどこに?」の問いに青壮年の皆さんが「こちらです」とみこしの奥の引き戸を引き外を見ると何とそこに義信神社が鎮座していた。そしてこのみこしを徳守神社の祭りの前、子供たちが担ぎ安岡町を練る。初めは小さな「わっしょい」という掛け声も、町内の大人に教わり徐々に大きく元気な声へと変わるという。地域の大人と子供の関係がここにもしっかりとある。安岡町は平成19年、徳守神社の大みこしを担ぐ奉賛会に参加して35年の感謝状を受けた。輿丁の定めがなくなり奉賛会となって町内の若衆が無事担ぎ終え町内に戻ってきた姿に言いようのない高揚感、そして誇りで胸がいっぱいになるという。義信神社のみこしで行われる英才教育は徳守神社大みこしへと引き継がれていき、「だんじりは町内、大みこしは氏子町内の一員としてとして異なる誇り、達成感がある」安岡の考えを現す町内会長の一言だった。


■中途半端では祭りにならない


 鳳龍臺の出動年は3年に1度。「中途半端で出したくない。築城400年のように必要な時は続けてでも出動するが、準備や出動に関わること全てが1番でなければ、鳳龍臺を出す意味が無い」−−。裏返せば3年に1度は町内で徹底的に祭りを楽しもうという意識が町内の隅々まで浸透している。そして約2カ月という出動準備を経て祭り当日で完結されるのだろう。その一つとして、だんじり人気投票の結果が出動本部に張り出されていた。人気投票一位(衆望壱番臺)は町内で祭りまでを徹底的に楽しんだ結果なのだろう。
 地域の人々の繋がりが希薄となり、町名はただの名詞になりつつある。しかし祭り当日、鳳龍臺を送り出した安岡の町並みは抜け殻のように寂しく、まるで安岡町が鳳龍臺と一体となって3年に1度の祭りを楽しみに出掛けたようだった。統一イベントが行われ多くの人でにぎわった奴通り。名物の大縄跳びで拍手喝采、観客をも巻き込んた笑顔の輪の先で、鳳龍臺も笑っているように見えた。
 安岡町という見えないはずの地域の絆が世代を超え、誇りや一体感となって鳳龍臺に映し出される日、それが徳守神社の秋祭りなのかもしれない。


 義信神社 元禄の頃、津山城下ではなかった安岡町は城下町(地租免除)に比べ重い税が課せられていた。安岡町の浪人、渡辺藤左衛門義信が町民のため藩に直訴、城下町への編入が認められるが法度破りの直訴を行った義信は処刑される。町民はその義挙を徳とし祠を建て崇めたのが現在の義信神社といわれている。

 出動前の伝統 出動準備の完了報告と安全祈願のため義信神社、妙勝寺(西寺町)にある渡辺藤左衛門義信の墓、鳳龍臺の工匠、杉山松四郎の墓(戸島)へのお参りを青壮年団が続けている。

 鳳龍臺台車の檜の枝 台車の勾欄にぐるりと藁を巻き、これに檜の枝を挿して飾り付ける。台車に乗った子供たちを衝撃などから守るためのものと伝わる。古くから最高建材として、また高貴な木として特に社寺建築に必須となる檜、その枝は神事によく用いられる事からも、その内側にいる子供たち、そして鳳龍臺を清め守るという意味があるのかもしれない。
 兄弟臺 鳳龍臺と鍛冶町の錨龍臺(ともに県重要有形文化財)は工匠、建造年は異なるが、ともに見事な彫りと胴柱の巻き龍が特徴であるとから、兄弟臺と呼ばれ両町内とも誇りに感じていた。最近は錨龍臺の出動がなく寂しいとの声が聞かれた。

約2カ月前から始まる安岡町の出動準備



 
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<衆望壱番臺>
 その年、1番人気を集め、言い換えれば最も期待を集めた臺という意味。年間人気ランキング1位と厳密には「衆望壱番臺」は別物で、その年に出動するだんじりの内、最上位のだんじりが獲得するもの。
 年間人気ランキングは、出動するしないに関らず「津山まつり」を楽しもうという趣旨で、「衆望壱番臺」は出動するなら、タイトルを獲得しペナントをだんじりに飾り町内の威勢を見せようというもの。どちらも祭り当日だけではなく、年間を通じて祭りを楽しむことをを目指したもの。
 大隅神社関係、徳守神社、高野神社、各々でイベントは行われているが、「津山まつり」参加だんじりに関わるすべての人たちが参加するイベントはなく、インターネットの特性を生かし市内3社すべてのだんじりで人気を競おうというもので、各神社の氏子の威勢、各町内の威勢を見せるバロメーターとして定着を図っている。
>>平成19年衆望壱番臺紹介ページへ >>新聞記事へ >>平成19年人気投票集計結果
>>鳳龍臺(安岡町)のページへ



>>こぼれ話・その壱-そのとき津山は/文政に造られた簾珠臺
>>こぼれ話・その弐-津山の記憶/稲葉浩志、オダギリジョー
>>こぼれ話・その参-GWに“津山型だんじり”/若葉の中を練る
>>こぼれ話・その四-寅さん最後の露店の舞台/津山まつり
>>こぼれ話・その六-知られざる林田宮川町、大隅神社「裏年」も出動
>>こぼれ話・その七-牛窓、林野、児島の各だんじりと津山との関係
>>こぼれ話・その八-文献に340年前から登場/寛文7年から祭り盛り上げた坪井町
>>こぼれ話・その九-寛文4年、昭和3年からの集大成/西松原・翔龍臺
>>こぼれ話・その拾-二宮の祭り引っ張り半世紀/先駆け桜町・龍櫻臺






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