写真は左から、高野神社の大蛇伝説※1を飾り付けた初期の山車。中は先代の飾り山車、左は本格的な彫を施した龍櫻臺

 高野神社では、昭和20年代後半(1951〜55)から秋祭りに荷馬車を利用した飾り山車が氏子町内から出動し始めたという。桜町は昭和38年(1963)の「津山だんじり保存会」発足に二宮から参加した町内の一つだ。当時は年毎に台車に載せる飾りを変えて趣向を凝らしていた。それから20年後、飾り山車の出動台数も10台を超え祭りが絶頂期を迎えたともいえる昭和59年(1984)、「今やらなければ時機を逸してしまう」と本格的なだんじり建造を決意した桜町の青壮年団が中心となって桜町山車建造委員会を立ち上げた。


 「何を馬鹿なことを……」
 桜町が龍櫻臺建造を決意した時の周辺町内の反応だ。
 当時、高野神社の氏子町内では、「飾り山車だからこそ参加しやすく今の規模の祭りになった」という思いに加え、文化財だんじりに続く本格的なだんじりを造る意味があるのか、造った効果は金銭的に見合うものなのか等々の考え方が主流で、周辺町内の意識を最も表した言葉が「何を馬鹿なことを……」だった。
 しかし“渋み”と反比例しない飾り山車の老朽化とともに祭りはいずれ衰退する。次代を担う子供たちの“祭り離れ”が起きてしまってからでは遅い。自分たちの祭りに立派なだんじりが出動することで、誇りや伝統を守る意識が子供たちに芽生え、それこそが祭りと地域の発展に繋がるのではないか、という桜町青壮年団の意識が高野神社では初めてとなる本格的なだんじり建造の原動力となった。その思いは町内全体を動かし1世帯平均10万円を超える建造費が集まり、昭和61年(1986)に桜玉を掴んだ鬼板の龍や懸魚の鶴など見事な彫りが施された無節総檜造りの龍櫻臺が完成する。
 今となれば、その流れは松原上の松龍臺、大和町の和天台へと続き、本格的なだんじりの登場で高野神社の祭りがさらに誇りと存在感を増していることからも、桜町の先駆的考えは間違いでなかったことを裏付けている。反対に飾り山車の老朽化と比例した子供の減少で1台が現役から退いた。
 龍櫻臺の彫師は鳥家隆雲氏(故人)で、県重要文化財指定2臺のだんじりの面影が随所に見れる。隆雲氏が過ごした安岡町が誇る四本柱の巻き龍が特徴の鳳龍臺、安岡町と隣町で江戸時代、共に城下に編入された茅町の錦亀臺だ。龍櫻臺の鬼板や懸魚の彫りには鳳龍臺、津山だんじりでは珍しい兎は錦亀臺にあり興味深い。
 隆雲氏は「工匠は黙して語らず。だんじりにして、語らしめる」の伝統通り、龍櫻臺にすべてを注ぎ、建造後は他のだんじりの依頼も断っていたという。隆雲氏唯一の遺作である龍櫻臺が時を重ねるごとに風格と“渋み”を増す理由を知った。
 祭り全体で先頭に立ち他を引っ張る町内、または中心的役割を果たす町内には必ず旗振り役がいて、旗振り役をサポートするまとめ役、実行段階で行動力を発揮する若手らがそろっている場合が多い。桜町でも家主曰く“他人の家を勝手に使った集会場”で酒を酌み交わしながら町内や祭りの将来を語り合う風景は、これまでの「衆望壱番臺」を獲得した町内と全く変わらない。
 平成22年の宵祭。高野神社のお膝元である桜町の龍櫻臺が徳守神社のお膝元、宮脇町へお披露目遠征してきた。文政3年(1820)建造の宮脇町・簾珠臺と肩を並べた龍櫻臺は、徳守神社周辺で宵見物をしていた沿道の人々を驚かせると同時に興奮させた。「高野神社」を連呼しながら練り、徳守神社の文化財だんじりとすれ違う姿は粋としか言いようがなかった。
 そして沿道のお年寄りが口にした言葉が聞こえた「高野にもあんなだんじりがあったんじゃ」。昭和30年(1955)に津山まつりに加わった高野神社の氏子町内が半世紀をかけて築いてきたものを龍櫻臺を通して垣間見た一瞬だった。あいにくの雨模様だった本祭りは、早めに切り上げ“集会場”で焼肉をつつきながら「来年はよその町内にも声をかけて何台かで徳守さんに行くか」と元気な声と笑い声が響いていた。
平成22年宵、宮脇町まで遠征出動した龍櫻臺と宮脇町の簾珠臺(右)
龍櫻臺建造時の遠征出動の様子。左は坪井町商店街のアーケード。左は簾珠臺




■高野神社の大蛇伝説(今昔物語)


 高野神社の近くに住む長者が、子授けの祈願をしたところ亀千代という女の子が生まれた。美しい娘に成長した亀千代は実は蛇の化身。水面に映る真実の姿を侍女に見られ、亀ケ渕に姿を消した。その後、大蛇が人畜に害を与えたり、宇那堤森に立つ鳥居の神額の金箔をなめに現れたため村人は額に毒を塗り、大蛇を殺したという伝説。


 桜町の法被はこの伝説をもとに市内の画家・八木泉氏がデザインしたもの。最上段の写真左(※1)もこの伝説


龍櫻臺の鬼板・懸魚(左と右上)、彫師・鳥家隆雲氏が過ごした安岡町・鳳龍臺の鬼板・懸魚(右下)
■龍櫻臺の桜

鬼板の龍が中央で握る桜玉(写真左上)、見送りも鬼板の龍が左端で桜玉を握る(同左下)。大棟(同右上)にも桜が施されている。

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