大隅神社関係のだんじりの出動は隔年で、全てが出動する年の翌年は数臺しか出動しない年となります。これは天保13年(1842)、第8代津山松平藩主・斉民の時代に祭りに出動するだんじりの数に制限が設けられ徳守神社が6臺、大隅神社が2臺との藩命により氏子町内は出動を順番で回すことを決めました。城東地区の隔年出動は約170年前のこの藩命が起源なのです。
 現在は各町内会が出動の有無や間隔を自由に決めていますが、大隅神社関係のだんじり出動年を「当たり年」、数臺の年を「裏年」「外れ年」などと呼ぶようになり地元の新聞でも「裏年」と報道されます。
 前置きが長くなってしましましたが、平成19年(2007)は「裏年」で、大隅神社の氏子となる地域(城東地区)では「今年はだんじりの出動が1臺もなく、寂しい限りだ」との声がいたるところで聞こえました。
 しかし「大隅神社の氏子から1臺も出ない」というのは誤りで、大隅神社の氏子として山車を出動させている町内が、城東地区の北、丹後山を越えたところにあることが、あまり知られていないためなのです。
 大隅神社の御神幸は神社を出てすぐ上之町の通りを西へ入道坂方面へと進み、その後、宮川に沿って北へ三枚橋東詰めを通り過ぎ、さらに北へ宮川筋を進み、その山車を出動させる林田宮川町へ向かいます。林田宮川町では公会堂で神輿を迎えた後、山車を出動させ同町やその周辺を練ります。
 林田宮川町の名前にある林田といえば城東地区とのかかわりが深く、津山城下町が造られるとき、当時の林田郷の村々から城下へと移り住ませることで元和3年(1617)に成立した町が、城東町並み保存地区のお城側(宮川側)にある林田町=写真、宵祭りの公会堂=で、さらに林田新町が西新町東新町として寛永3年(1626)に城下に編入され、その林田新町と勝間田町の中間にある町という意味から中之町の名が付きました。
 しかし、城下に位置しない林田宮川町がなぜ大隅神社の氏子かというと近年住宅地として成立した新しい町であることと、宮川東側の城下町北端で大隅神社の氏子である上之町と接していることから、新しい町である林田宮川町も氏子の仲間入りをし御神幸も少し北へ伸びて現在に至るということなのです。
 そしてここからが本題ですが、せっかく大隅神社の祭りにあわせて山車を出動させるのであれば、他の氏子町内と同じく「津山まつり」に参加して統一行動できないものでしょうか。これまでは旧出雲街道を練って林田宮川町へ帰るには少し不便でしたが、新しい道路(国道53号から東新町、津山警察署方面へ)が開通すれば、可能になるのではないでしょうか。
 さらに林田宮川町の山車の乗り子となる子供たちの小学校区も中之町、勝間田町、林田町、橋本町、上之町(1丁目・2丁目・3丁目・4丁目・5丁目)と同じ津山東小ですし、統一行動で集合する津山観光センターのある山下も学区内で、子供たちも顔見知りです。
 林田宮川町までやって来た大隅神社の神輿はそのまま大橋(東詰めの橋本町)まで戻りますが、そのオトモヒキで大橋までくれば、御神幸に華を添えるだけでなく時間的にも津山観光センターで集合した大隅神社関係のだんじりが城東地区に戻る時間と一致します。そして神輿は関わりの深い林田町にある京御門本店で休憩しますので、京御門で時間調整すれば、統一行動に参加可能です。合流後は林田宮川町の山車も統一行動で旧出雲街道を練り、新しく開通する道路で林田宮川町へ帰る順路はどうでしょうか。
 林田宮川町の公会堂から宮川(津山)大橋までは1キロちょっと(2キロはありません)。旧出雲街道を東新町まで練って新しい道路を北上して林田宮川町へ帰るコースは他のだんじりの距離に比べても長くはありません。
 昨年の様子では曳き手はそろっているようですし、不安であれば、ご近所の津山警察署、津山消防署に一声掛ければ地域の活性化、津山まつり盛り上げのために非番の職員の皆さんが協力してくれるはずで、曳き手の強化は間違いなしです。
 林田宮川町の山車が建造されて20年以上……
 そろそろ出雲街道に登場してもよい時期ではないのでしょうか。
大隅神社を出発し上之町の通りを林田宮川町へ
向かう神輿
整備中の国道53号から東新町(出雲街道)、津山
警察署方面へ抜ける道路(左が林田宮川町方面)

 平成21年3月、総社川崎線の林田−川崎間が開通しました。城北通り(林田)から国道53号(川崎)までの1,200メートルの区間です。これでいよいよ統一行動に参加しやすくなりました。
<こぼれ話のこぼれ話>


林田宮川町の山車保管庫。町内の皆さんの
手作りで完成当初はシャッターが完全に閉
まらず数10センチ下が開いていました。


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